こんにちは!
いつもこちらのブログを読んで頂きありがとうございます。
NABRA Chase Fishing GONTA です。
今回はいつもとかなり毛色の違うお話しになります。
と言うのも、安部政権からずっとそうですが、国民の現状を知らないエリート(何をもってエリートと言うのかはありますが)政治家が、どんどん国民のやる気と国益を遺失していることについて、黙って見ていられなくなったからになります。
今回の記事を見て、『何を勘違いしているのか!』という意見の方もいるのかもしれませんが、そんな風評を気にしていられないくらい怒りを感じている今日この頃です。
こんな場所で国に提言しても、どうなるものでもないとも思いつつ・・・
話しが上手くまとまるか心配ではありますが、お時間のある時にお付き合い頂ければ幸いです。
この国の政治家は、本気で少子化対策を考える気があるのか?
まず、この記事を読んでいただけている方の中で子育て世代の方は、『児童手当の制度が変わる』ことをどのくらいご存じでしょうか?
この制度が無くなる訳ではないのですが、手当対象の判断をする対象が、これまでは『一家の家計の中で複数の者に収入がある場合、一番多い一人の収入が評価の対象になる』という制度だったものが、『一家の家計の総収入が対象になる』という制度に変わろうとしています。
現在の制度は、年収が960万円(4人家族なら)未満の世帯では
・0~3歳までは、一律、15,000円/人
・3歳~小学校修了まで、第一子・第二子は10,000円/人。第三子以降は15,000円/人
となっています。
また、年収960万円の所得制限超の世帯でも、5,000円/人は特別給付として支給されています。
この制度は内閣府のHPでも【子ども・子育て支援制度】として掲載されているものであり、子育て世帯の支援を目的としつつ、ひとつの期待効果としては少子化対策と言うものがあったはずですが、今回の制度変更により、共働きの多くの世帯が支給額ゼロになろうとしています。
制度の変更内容については、東京新聞さんの記事がわかりやすいかと思いますので、ご覧になられたい方はこちらのリンクから見て頂ければと思います。
小沢一郎さんもTwitterでこの記事を引用して、財源のすり替えだと指摘しています。
最近では夫婦でフルタイム勤務の共働き世帯が増えており、このことは大都市圏では特に顕著になっているかと思いますが、この夫婦の年収を合算すると現在の所得制限を超えてしまう世帯は非常に多いと言われています。
この制度は、民主党政権時代からスタートしており、1972年以降内容や名前は少しずつ変わりつつ維持されてきているのですが、ここに来てとある施策の財源確保の為に制度を変更するそうです。
その施策とは、待機児童を減らす為の施設増加などの予算に充当するそうです。
待機児童問題で困っているのは子育て世代の共働き世帯なのですが、その世帯に対する支援をカットして予算を確保しようとしているのです。
これで、必死で共働きして収入を得つつ子育てをしていたり、これから子供をつくろうとしている世帯が、沢山子供を産もうと思うか?という話しです。
菅さんが総理になった時は、それなりに苦労をされてきている話しを聞いたので、ボンボン二世議員の安部さんよりはマシかな?と思っていたのですが、その期待は消え去りました。
このやり方の矛盾に気付かない時点で、完全にボケています。
老人に政治などさせるから、こんな話しになるのです。
東大卒を中心とするエリート集団の官僚の人たちも、このような制度変更を国民が求めていないということに気付かない時点で、中央官庁の存在意義無しです。
一番働いて、課税所得を得て、税金を一番払っている層に対するこの仕打ちは、ニュースなどでも『子育て罰』、とまで言われているのですが、政治家の皆さんはそんなニュース報道も耳に入らないくらい国民との距離が離れてしまっているのでしょうか?
何かと目先のことを考えて、より多くの国民を働かせたがる今の自民党政府ですが、そもそも、共働きが増えれば増えるほど少子化が進むということに気付かないのも、高度成長期に子育てに関わってこなかった老人が政治家をしているからに他なりません。
共働きで子育てがどれだけ大変になるのか?を身をもって経験していない層が、『夫婦で家事分担を進めれば何とかなる』という理想論を唱えているだけなのです。
菅さんを筆頭に、この国の政治家は、真剣に少子化対策をしようと思っているとは到底思えないのです。
嘘つき政治家ばかりの日本、そして人口が減る国に未来は無い
そもそも結婚年齢が高齢化していたり、独身者率が高い中で、ひとつの世帯で生まれる子供の人数が増える訳がありません。
そして、減り始めた人口に歯止めをかけるのは難しく、加速度的に人口は減り高齢者率が高くなります。
GDPが世界TOPクラスだった時代は過去の話し。
経済的にも日本は既に先進国とは言えない状況です。
そんなことは、政府も言う訳ありませんし、メディアもそんな話しはオープンに語りません。
そして、そんな状態を知らない国民は、どんどん増える増税負担を黙って背負い、日々働き続けるのです。
因みに、前段にて『児童手当を無くすのは、待機児童対策費の捻出の為』と言っていると書きましたが、そもそも消費税を10%に増税する時にも待機児童対策費の確保という内容が盛り込まれていました。
国民はそんなこと覚えていないと、バカにされているようにも感じます。
消費税でどのくらい待機児童対策費を賄い、いくら足りない部分を児童手当廃止にて補填するのか?を具体的に公表させないと、また、何かの税や制度の変更の理由に使われそうです。
戦後に日本が急速に経済回復・発展したのも、この小さな国土にして国民が多かったことも大きな一因と言われています。
国民が多い=内需が大きいという背景で経済成長が下支えされる、ということです。
最近では、海外からのインバウンド需要への期待がニュースの話題になりますが、既に海外からのインバウントに頼らないと経済規模が維持できないのが今の日本なのです。
安部さんは、戦後最長の経済成長だと嬉しそうに言っていましたが、過去の経済成長と比べると、成長率は見るも無残な低い比率です。
確かに、プラスかマイナスかの二択で見ればプラス成長ですが、第二次安倍政権期の経済成長は微々たる成長規模です。
経済が良くなり新卒の就職などが良くなったという話しも言われていましたが、そもそも新入社員となる若者の数が減っていますので、供給される人数が少ない分、学生は有利に就職活動を行うことができていたのです。
国民が減れば、内需も減りますし、いろんな意味での人材も減っていきます。
更には、グローバル化が進んでいることもあり、真に優秀な人材はどんどん海外に出ていってしまう環境になっています。
日本は今、非常に危機的な状況なのです。
政治家に定年を設けない意味がわからない
国民の税金で高額の報酬を得ている政治家は元々信用できないのですが、世襲議員が多い自民党の政治家は一番信用できません。
後でも書こうと思いますが、80歳に近い麻生さんが『政治家を辞めるつもりが全くない』と明言して、笑いが起こる国会がどうかしています。
一般的な企業でも、公務員でも、ある程度の年齢になれば判断力も鈍りますし、いろんな観点で効率的に仕事ができなくなるという限界があるので定年という制度があると認識しています。
政治家以外でも、弁護士や医者なども定年がありませんが、やはりご年配のお医者さんなどは手が震えて注射が打てないという方も見たことがありますし、年には勝てない状況が出てくるものです。
政治家などは、どんどん変わる世の中の状況に追従し、その時々で難しい判断や行動ができないといけない、非常に難しい仕事ではないかと思っているのですが、それが後期高齢者のジャンルにハマる人でまともにできるでしょうか?
政治家は選挙で決めているので、公平は選出であるという意見も理解はしますが、世襲議員が多い昨今を鑑みると、本当に公平に決まっているのか?その出馬の背景からして疑問を感じます。
国民は感じている違和感について、もっと声を大にして言ってもいいんじゃないかと思います。
知らない間に共産国となった日本 まとめ
ということで、どこまでしっかりと論理的に伝えられているか心配ですが、とりあえず疑問に感じ、憤りを覚えることについて書いてみました。
皆さんはこのような理不尽な想いは持たれていないでしょうか?
一番最初の児童手当に触れますが、一定のレベルの所得制限のハードルで0か100か?にするのではなく、もっと累進的にできないものでしょうか?
所得税は累進制なのに、いろんな制度は所得制限ラインが設けられておりスッパリ白黒がわかれるものが多過ぎないでしょうか?
因みに、子供の医療費補助や高校無償化などの制度も同じようなハードルで補助対象世帯が切り分けられているので、年収が900万円~1000万円ほどの世帯は、実質的な可処分所得でみると、年収700万円台世帯と逆転現象が発生していると言われています。
頑張って収入を得て、それに伴う納税もしっかりしている国民が損をするような国で、国民が頑張ろうという気になるでしょうか?
頑張っても頑張り損になるのは、旧のソ連時代にパン屋さんからパンが早々に無くなる(頑張ってパンを沢山焼いて売っても給料は変わらないので頑張らない)という共産国の悪い面と何ら違いを感じないところです。
しっかりと納税義務を果たしている割合に応じた還元が無いこの国の制度。そしてその実態を把握もせずに国会で平然と制度を決める政治・政治家に対して憤りを感じずには居られません。
以上、過激な表現が沢山ちりばめられた記事となってしまいましたが、ご容赦頂ければと思います。
少しでも、『そうだよね!』と思って頂ける方がいることを信じたい今日この頃でした。