その他日記

【釣りメソッド編】“釣力”とは何かを考えてみる

こんにちは!

いつもこちらのブログを読んでいただきありがとうございます。

NABRA Chase Fishing GONTA です。

今回は、少し前から釣り友であり師匠のTake師匠と話しをしている中で出てきた“釣力”について書いてみたいと思います。

釣力も立派な釣りのメソッド?

では、お時間のある時に、この独り言にお付き合い頂ければ幸いです。

目に見える結果としての“釣力”

”釣力”は“チョウリョク”と呼んでいますが、要は魚を釣る力のことを“釣力”と呼んでいます。

実際に釣りをしていると、仲間内でも、良く魚を釣る人と、中々釣れない人が居るのは事実です。

ただし、この良く釣ると言うのも、釣れた/釣れなかったの個々の結果だけでは本当に良く釣れているのかはわからないと思っています。

と言うのも、月に20日釣りに行く人と週末アングラーさんとでは目に見える釣果には差が出て当たり前です。

各釣行において、どのくらい確実に釣っているのか?が真の釣力なのではないかと思います。

渋い時でも確実に釣ってくるのも釣力ですし、みんなが釣れている時に更にその中でも多く釣るのも釣力ですね。

船釣りなどでも、同じ状況下において一番釣った方を“竿頭“と讃えるのも、その方の釣力を讃えていることになるんだと思います。

しかし、これらの釣果から判断する釣力は“結果”ですね。釣果という結果です。

結果は、プライベート釣行でも大会(トーナメントなど)でも必ず出るものですが、真に注目すべきは、その結果が出る為のプロセスだと思っています。

「●●さん、いつも良く釣っていていいね~」と、釣果を讃えるのはいい事だと思いますが、次は自分もあやかりたいと思うのであれば、そのプロセスにより注目すべきではないかと思います。

どこどこで、誰々が、何を使って、どの時間帯で釣った、と言うのは、最近ではネットを利用すれば結構簡単に入手できる情報ですが、“釣力”に繋げる真のヒントは結果ではなく、プロセスに隠されている要素が大きいと思っています。

結果にはプロセスがある

これも釣り友さんとの秘密会議(=飲み会)で話しをしていたことですが、コウドウリョクには2通りの解釈があるという話しです。

一つは一般的な言葉である“行動力”です。読んで字の如く、実際に自分が動いて経験し、結果に繋げていくという力のことです。

行動すれば良くも悪くも結果が出ます。

良い結果は、それはそれで嬉しいことですが、悪い結果もその内容を振返ることで、次に活かすことができるかと思います。

行動を起こさないと次の行動に繋がらない。これが私達”飲み友”内での共通認識です。

これに対して、もう一つの言葉は”考動力”です。

考えることは、前にもこちらのブログで書いたことがありますが、非常に大事なことだと思います。

ただし、それは実施した(行動した)結果に対して考えることが大事なのであり、行動する前に考え過ぎると動けなくなるのではないかと思っています。

考えてばかりいては、机上の仮説はいつまでも仮説のままです。

なので、まずは動いて(行動して)、考えるのが良いのではないかと思っています。

そして、この”考える“という部分については、結果よりもプロセスに注目して考えた方がいいのではないかと言うのが私達?の持論です。

自分の結果であれば、なぜ釣れたのか?釣れなかったのか?

なぜバラシたのか?なぜフッキングできなかったのか?

などを、ひとつひとつ振り返り、良い点はもう一度やってみる。悪い点と思わしきはリカバリ策を次の釣行で試してみる。

間違いの原因が当たっていて、次の釣行でリカバリ策が当たれば、それはその後の自分の糧として蓄積できていきますし、原因が当たっていなければ、そこでは結果が出ない。

実際、理由が当たらないことの方が多いのですが、10回に1回でも正解を見つけられれば御の字だと思ってやっています。

十分の一の蓄積ですね。

このプロセスに注目することが、長い目でみた時の“釣力”をアップしていける原動力になると考えています。

また、このプロセスから学ぶことは、自分だけの釣行に頼らなくても良いとも思います。

近しい知り合いの釣り友さんとの話しの中で感じ取るも良し、メディアアングラーさんの釣行動画やDVDなどから学ぶも良しだと思います。

強いて言うなら、メディア系は“その情報”を流す何らかの目的がそこに存在しているので、悪く言えば恣意性がそこに介在する場合があります。

なので、損得勘定抜きにして話しができる知り合いとのディスカッションは非常に意義があると私は思っています。

言葉では説明のつかない運の要素

最後に、“釣力”に繋げる為の要素として入手するのが一番難しく、しかし、一番結果を左右する要素について書いてみたいと思います。

それは釣りの運です。

人生全体の運が連動するかどうかはわかりませんが、間違いなく釣りには“運”が結果を左右する要素であると思っています。

実際、トップトーナメンターには欠かせない素養であると思います。

みんなが人通り釣りをしたエリアで、その人が釣ると釣れたり、サイズが大きかったり。

勿論、狙って釣っているという要素があるのも間違いないと思いますが、それでも説明のつかない結果が伴うことが多いのが釣りだと思います。

所謂、“持っている”という表現をするヤツですね。

科学的根拠は全くないのですが、確実に存在するパワーだと思います。

この運だけは、なかなか努力して身に付くものではなく、生まれもった何かがあると感じます。

これは実際にトーナメントなどに自分も出ていて、身をもって痛感したことです。

また、人固有の運の違いもありますが、誰でも運のアップダウンはあると思います。

運の悪い日は、意味不明なバラシやラインブレイクに再三悩まされることもありますし、逆に、自分でも気持ち悪いくらい好結果が連続して起こることもありますし、もう少し長いサイクルでも、ツイている期間、ツイていない期間があったりするのも事実だと思います。

このように、“釣力”には、神の見えざる手である運も介在していると言うのが私の考え方です。
釣る人は釣る。

しかし、どんなに上手い人でもダメな時はてんでダメということがある、と言うのが釣りの面白さであり怖いところだと思います。

それでも、努力は運を凌駕する

前章のようなことを書くと、「じゃ、ダメな人は釣りをするなって事か?」と思われるかも知れません。

しかし、そこはそうではないと思っています。

これは、師匠の名言(迷言?)ですが“努力は運を凌駕する”です。

釣れなくても、答え合わせにフィールドに通う。

思いついたことを試しに釣りに行く。

誰かと釣っていて、明らかに釣り負けた時に、釣っていた人のメソッドを聞いて試しに行く。

これらの行動の積み重ねが、自分のベースの“釣力”をアップさせ、月日の経過と共に釣れるという結果を伴うようになっていく、と私は信じています。

なので、時間が取れれば釣りにいきます。

ちょっと釣りに行くのが難儀だな~と思う時も、やりたいことが明確な時は釣りにいきます。

釣るぞ~~と意気込んでいる時ほど、釣果に恵まれないことも多いものです。

いつ何時、どんな釣果に出会えるか?それを楽しみにフィールドに足を運べば、きっと素敵なできごとに出会えると信じて釣りをしています。

努力は、期待するほどの結果に繋がらないこともありますが、決して結果はゼロやマイナスになることはないと思います。

また、ダメな時のリカバリ力も培われるのも事実だと思います。

“釣力” まとめ

とまぁ、いろいろとややこしいことを書きましたが、いくら魚が釣れても、あくまで趣味で魚を釣っている私建にとては“楽しい”ものでなくてはなりません。

一見他人が見て、しんどそう、と思われることをしていたとしても、やっている本人が楽しみを感じてやっているのであれば、それは“有り”だと思います。

楽しみを感じて釣りが続けられることが、ついては“釣力”をアップさせていける秘訣ではないかと思います。

滅多に無くても、たまに出会えるナイスフィッシュ。

そして、鳴り響くドラグ音、ひん曲がる愛竿。

その瞬間があるから、釣りを続けたいと思うし、“釣力“を上げていきたいと思うのは私だけではないと思います。
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そして、最後に、ひとつ。

“覚えておくこと”は非常に大事だと思います。

どんなに釣行回数が多くても、その都度のことをすっかり忘れているようでは意味がありません。

逆に、釣行回数の少ない方でも、その1回1回をしっかり振り返っていて、検証が出きていて、それを覚えていられれば必ず次回に繫がると思います。

また、人に聞いた話しもしかりです。

聞いた話しは覚えておいて、何かの機会でその聞いた内容がハマりそうな時は試してみる。

こうすることで、他人の経験を自分のモノにできる。

覚えておくことは、情報という資産を有効に且つ最大限活用する為の重要な要素であると思います。

以上、私のチンケな経験から感じている“釣力”についての、お話しでした~

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